田舎で育った私には、アルバイトの経験すらありませんでした。
生まれ育った家には居場所がなく、思い切って札幌へ飛び出したものの、最初から正社員として働くことはとても無理だと感じていました。
心も体もすでに限界で、「正社員としてやっていけるエネルギーは自分にはない」と思っていたからです。
親戚の家での悔しさと孤独
札幌に出てからの2週間ほどは、親戚の家に泊めてもらっていました。
けれど、そこで叔父から「アルバイトなんて何をふざけたことを言ってるんだ」と突き放されるような言葉を浴びました。
自分なりに必死で生き方を模索していたのに、その思いが全否定された気がして、悔しさと悲しさで男ながらに毎日涙を流していました。
次第にその家にいるのがつらくなり、お世話になった親戚の家を出ることを決めました。
初めての部屋と、自分の足で探した仕事
親戚の家を出て自分の部屋を借り、ようやく一人で立つことができました。
その頃は右も左もわからず、とにかくハローワークに通って志望動機の書き方を学んだりしていました。
しかし、就職活動はなかなかうまく進まず…。
当時の自分にとって、面接に行くだけでも相当な精神力とエネルギーを使うことで、大学生のように何社も受けるなんて到底考えられませんでした。
そんな中、スマホで「はたらいく」「バイトル」「タウンワーク」などの求人アプリを眺めながら、「これなら自分でもできるかもしれない」と思える仕事を一つ見つけました。
勇気を振り絞って面接に行き、採用の知らせをもらったときは心の底からほっとしました。
優しい人たちと出会えたことが救いに
その職場は、思っていた以上に優しい人ばかりでした。
実家を離れて不安だらけの生活の中で、温かく接してくれる人たちと働けたことは大きな支えになりました。
お金はほとんどなく、贅沢などできませんでしたが、最低限生きていける環境を自分で作れたことに安堵しました。
何より、実家で感じていた重たいストレスから離れられたことが、心を楽にしてくれたのです。
あの日の「決まった」という瞬間が教えてくれたこと
初めてアルバイトが決まった日。
それは私にとって「一人で生きていけるかもしれない」と思えた大きな転機でした。
今振り返ると、その小さな一歩が、自分の人生を確かに前へ進めてくれたのだと思います。
不安と孤独に押しつぶされそうになっていたあの頃、「ここで働ける」と確かに決まった瞬間こそ、人生でよかったと感じられる大切な記憶になっています。